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「トランボ」
ダルトン・トランボ
アメリカ合衆国の脚本家、映画監督。
アメリカで1940年代に起こった赤狩りに反対したいわゆるハリウッド・テンの一人。
迫害期にはベン・L・ペリー(Ben L. Perry)、
ロバート・リッチ(Robert Rich)のペンネームで活動し、
またイアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter)の名義を借用したこともある。
脚本作品
恋愛手帖 Kitty Foyle: The Natural History of a Woman(1940年)
ローマの休日 Roman Holiday (1953年)イアン・マクレラン・ハンター名義
スパルタカス Spartacus(1960年)
栄光への脱出 Exodus(1960年)
いそしぎ The Sandpiper(1965年)
ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun(1971年)
ダラスの熱い日 Executive Action(1973年)
パピヨン Papillon(1973年)
原作作品
ローマの休日 Roman Holiday (1953年)
黒い牡牛 The Brave One(1956年)ロバート・リッチ名義
監督作品
ジョニーは戦場へ行った Johnny Got His Gun(1971年)
第二次世界大戦終結後の東西対立の激化の中、後にいわゆる「赤狩り(マッカーシズム)」
と呼ばれた運動の最初の標的とされたハリウッド映画界の著名な10人の映画人(ハリウッド・テン)
の中に数えられ、1947年10月20日、反共キャンペーン下院非米活動委員会による第1回聴聞会
に呼び出された。当時のハリウッドにはジョン・ウェインらを筆頭に
「アメリカの理想を守る映画連盟」という組織が設立され、
非米活動委員会への協力が推進された。第1回聴聞会に出席したトランボは、
「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」と問われたが、
アメリカ合衆国憲法修正一条(言論と集会の自由を規定した条項)を理由に証言を拒んだ。
その結果、議会侮辱罪で逮捕され、禁固刑の実刑判決を受た。
実際、トランボはアメリカ共産党の党員であった。刑期終了後も映画界から事実上追放され
1956年にロバート・リッチの名義で参加した『黒い牡牛』でアカデミー原案賞を受賞するが、
、彼の名前は公にされなかった。アカデミー協会が初めてトランボの名前を刻んだオスカーを
彼に贈ったのは1975年になってからであった。クレジットに彼の名前が再び現れるのは
1960年の『スパルタカス』であり、追放から13年が経過していた。
また、トランボの死後、イアン・マクレラン・ハンターの原案・脚本とされていた
『ローマの休日』が、実は追放中のトランボが1953年に執筆したものであったことが判明し、
同作品でハンターが受賞していたアカデミー原案賞が、1993年に改めてトランボに贈られることになった。
実質的にトランボは『黒い牡牛』以前にアカデミー賞を受賞していた。